
入門編 7
セックスワーク論の何が問題か Ⅱ
目次
貧困・性差別と切り離す
セックスワーク論は、現実の社会で、女性差別や女性の貧困が、男性の買春や性売買業者、そして女性が性を売る状況を生み出しているのに、その事実から目をそむけて議論をくみたてます。これに対し、ある当事者女性はX(旧Twitter)で言います。「セックスワーカーを一番見下しているのは買春客なのに」、セックスワーク論者が「買春客に怒らないのはなぜなのでしょうか?」。まったくその通りです。もちろん、女性が男性を買う、男性が男性を買う、女性が女性を買う等の行為も、カネの力で自分の性行為の相手を強要するという意味において、人権侵害です。このうち、圧倒的に多いケース、すなわち男性が女性を買うことをここではとりあげています。
ただし、セックスワーク論者自身も、いたるところで「セックスワークの現状は社会の性差別構造を反映したもの」(清水2021)、現在の「セックスワーカーは貧困ゆえに売春している」(清水2021)ことを認めています。にもかかわらず、「余計なものを削ぎ落とし、洗練されたスローガンである『セックスワークは労働である』が重要」(要2018)とし、「セックスワーク産業」を擁護します。そして結局、買春そのものの差別性や暴力性、しかたなくその相手をせざるをえない女性たちの苦痛を無視しています。
それどころか、セックスワークがあたかも「セーフティーネット」、つまり女性の安全を守り保護する仕組みであるかのような言い方すらします。たとえば、「現在の日本、低所得者やシングルマザーが増えてしまったのに、それを守ってはくれません。なのに風俗は汚らしい、キモいなどと言い、収入源まで奪おうとしているのです。これを許すわけにはいきません」(要Twitter22/07/03)などの主張です。
もっとも、こうした主張に対しては、Twitter上ですでに批判が相次いでいます。ある方は次のように言います。「私は無収入でシングルマザーだが、風俗で働きたくない。『現在の日本、低所得者やシングルマザーが増えてしまったのに、それを守ってはくれません』に続く言葉は、『社会的弱者が風俗で働かずに済むように守る政治にかえよう』だ」(かなやTwitter)。まったくその通りです。
性売買業者と買春を認めてはいけないのは、そして性を売ることを勧めることができないのは、性売買が「汚らしい」からでも、性売買女性を差別しているからでもありません。性売買業者と買春者が性売買女性の人権を侵害し、男性中心の買春文化を永続化させるからです。
「自発」と「強制」の切り分け
セックスワーク論者は、性売買女性を「自発的」なセックスワーカーと、「強制的」にセックスワーカーにさせられた人たち(たとえば人身取引被害者)とに分別します(青山)。そして、「自発的に」にセックスワーカーをしていると見なした人たちのことにのみ関心を向け、「強制的」に性売買に参入させられた人たちのことには目を向けていないように見えます。また、性売買業には「前払い金」のように、性の売り手を性売買から離脱できなくさせる仕組みがあることについてもほとんど触れません。
セックスワーク論者は次のような言い方をします。
しかしこれは、いかにも頭の中で考えただけの空論に聞こえます。「いくつかのオプションの中」から「セックスワークを選ぶのが最も合理的だ」とか「負担が少ない」「一番自分に向いている」と考えて選択する「人たちもいる」ことが強調されていますが、実際には、「できれば性産業には携わりたくない」のに、低賃金で不安定な職ばかりの中で、しかたなく性売買を選んだ人たちが大勢いるのが現実です。しかし、セックスワーク論者は、そういう人たちが、どうやったら性売買しなくてすむ社会にしていけるかについて提案することはありません。
以下で性売買の現場で実態を見てきた人たちや、当事者女性の声を聴いてみましょう。
韓国大邱で20年の間、性売買当事者女性の支援をしてきたシンパク・ジニョンさんは強い言葉で言います。
シンパクさんの会ってきた性売買当事者女性たちのほとんどが、貧しい女性、虐待する親によって自宅に居づらい女性、障がいを持つ女性、レイプ被害を受けた女性たちなど、社会的に弱い立場に置かれた女性たちであり、その弱い立場につけこんだ業者に誘導されて性売買に参入させられた人たちだと言います(シンパク2022)。
日本で10数年間、10代女性を支援する活動をしてきたColaboの仁藤夢乃さんも言います。「貧困と虐待、性差別、性売買はセットのように結びついて」いる。ガールズバーだと思って面接に行ったら、性風俗店で働くことを断れない状況に置かれてしまったり、彼氏やホスト等に性売買に誘導されたり、近年では「メン地下」を応援するために性売買に誘導される若い女性も増えていると言います(仁藤2022)。
日本の「性売買経験当事者ネットワーク・灯火」のメンバーも言います。
しかも、ひとたび性売買をはじめると、カネを支払っているんだからと「元をとろう」とする買春客の性的嗜好に従わざるをえないのが、その「仕事」なのです。性売買女性は、買春者をなんとか射精に導き、「仕事」を終えようと努力します。そこに性を買われた女性の性行為への「自由な意思」による「同意」を見出すのは困難です。
現代社会には、弱い立場に置かれた女性たちにつけこんで、業者たちが彼女たちを性売買へ誘導するさまざまなカラクリが存在しています。ところがこうしたカラクリから目をそらし、性売買をしたくないのにせざるをえないジェンダー不平等な社会の欠陥を真摯に問うことなく、彼女たちが「自発的」にセックスワーカーをしていることを強調して、「セックスワーク産業」を肯定しているのがセックスワーク論ではないでしょうか。業者や買春男性の「代弁者」となっていると言わざるをえません。
「性産業に携わりたくない人、それに向いていない人が、それに携わらずに済む、というのは重要」。しかし、「自分の仕事として考え得るいくつかのオプションの中で、現状ではセックスワークを選ぶのが最も合理的だ、あるいは自分にとって負担が少ない、さらにはこれが一番自分に向いているという人たちもいる」(清水2021)
「女性たちが性売買に『同意』するというのはフィクションにすぎない」。
(シンパク2022)
「(私たちは)業者に拉致されたわけでも、殴られたわけでもありません。ただお金がなかった。・・・『そうするしかない』と思い込まされ、『自分が選択したのだろう』と責任を押しつけられてい」るのだ。
「北欧モデル」批判
セックスワーク論は、「北欧モデル」をさかんに批判します。「北欧モデル」とは、性売買業と買春を女性への暴力と見なし、性売買女性の脱性売買を支援するとともに、性売買業者と買春者を処罰する法制度を言います。私たちは、この法制度が現状では最も有効な法制度だと考えています。
セックスワーク産業を存立させることが目的のセックスワーク論が、性売買業と買春を処罰する「北欧モデル」を批判するのは当然と言えるでしょう。たとえば、セックスワーク論者は次のように言っています。「買春者を取り締まるとセックスワーカーの労働環境を守ることがより困難になる」「貧しいセックスワーカーが自宅で売春を行なった場合、黙認していたアパートの大家や近所の人も告発されてしまうために、セックスワーカーは住む場所を失う」「セックスワーカーが仕事で暴力を受けたり病気にかかったりした時に、医療行為を受けることも難しくなる」(清水2021)
これらの批判が正しいのかも疑問ですが、「北欧モデル」の法制度について忘れてならないのは次の点です。「北欧モデル」では、性売買業者・買春者と性売買女性を区別し、前者については処罰しますが、後者の性売買女性については、処罰せずに、医療的・法的・経済的支援をし、性売買以外の職業で自活できるよう支援するということです。性売買女性を処罰せず、性売買女性への相談事業を充実させ、脱性売買希望者に性売買以外の方法で生きているように支援する体制が十分に整ってさえいれば、「性売買業者と買春を処罰したら性売買女性の状況が悪化する」ことには必ずしもなりません。
ここで、「北欧モデル」を半ば実現した韓国の事例を見てみましょう。
韓国では、「性売買問題解決のための全国連帯」が、性売買女性の脱性売買支援に取り組んでいます。性売買業者の脅しにも負けず、各地の性売買集結地に相談員がアウトリーチにでかけ、支援の内容を説明してまわりました。しかし、性売買女性たちは業者のもとにいるので、外からやってくる相談員のことを最初は信頼しませんでした(チャガルマダン、33頁注30)。
しかし、何度も訪問し、性売買女性が気軽に立ち寄ることのできる場所を設定したりするなかで、徐々に性売買女性たちが医療支援や法的支援につながるようになっていきました。2009年の大邱市女性会館の支援では、性売買集結地の女性たちが最も必要としていたのは医療支援だったといいます(チャガルマダン34頁)。医療支援のなかで、多くの女性が生殖器に関する疾患、鬱病、不安症、パニック障害、対人恐怖症、アルコール中毒、歯の疾患等に関する深刻な症状をかかえていることが明らかになりました。
ところが、医療支援によって治療を受けてもふたたび性売買に戻らざるをえない女性たちが多いなか、彼女たちはなかなか病状を回復させることができませんでした。それでも、「緊急の医療支援は命を救うこと」(チャガルマダン35頁)だとして、大邱女性人権センターは、さらなる医療支援の強化を求めて続けてきたのです。
もう少し詳しく大邱の性売買集結地「チャガルマダン」の事例を見てみましょう。大邱では、2014年、チャガルマダン近隣の開発事業が民間資本により始まり、「チャガルマダン」の閉鎖が決まりました。そのため、大邱女性人権センターをはじめとする支援者たちは、閉鎖後にチャガルマダンの女性たちが他の性売買地域へ売り飛ばされたり、生存を脅かされることのないように、市民を巻き込んで、ある条例を市に作らせました。
この条例は、2017年7月現在、チャガルマダンの性売買被害者であると認定された人に、10ヶ月で1人最大2000万ウォンの自活支援(生活費・住居費・職業訓練費等)を行なうものでした(チャガルマダン、22-23頁)。2017年には、チャガルマダンの店舗は35軒で、そこで性売買をしていた女性たちは150人だったと言います(チャガルマダン、74頁)。そして、チャガルマダン閉鎖過程で支援を受けた女性は100人以上にのぼったといいます(チャガルマダン、83頁)
もちろん、経済支援の金額も期間も十分ではないと大邱女性人権センターは認識し、市や国に対して一層の財政支出を求めています。その実現は簡単ではなく、背景には、性売買防止法を実現した韓国社会でも、性売買が女性に対する暴力であるという認識がまだ不十分という事情があります。しかしそれでも、こうした韓国の状況が、たとえば違法風俗営業をなくそうという日本の「歓楽街浄化運動」とは、次元がまったく異なるということがわかります。
だから日本の私たちも、買春と性売買業が性差別、性暴力であるとする「北欧モデル」の立場から、だれもが性を売らなくても生きていける権利を実現するために、市民、地方自治体、そして国に働きかけて、性売買女性への医療支援や、性売買以外の暮らしを可能にする生活支援金の実現をめざしていくことが、何よりも重要ではないでしょうか。
性売買したくない当事者の声の封じ込め
性売買がこれだけ広範囲に広がっている社会だからこそ、「自分は主体的にセックスワークに従事しているセックスワーカーだ」と自ら話す当事者もたくさんいることでしょう。私たちは、そうした声にも敬意を持って耳を傾ける必要があります。当事者でないとわからないことがたくさんあるからです。
その一方で、次のことにも留意する必要があるのではないでしょうか。日本社会は、古くから、性売買を「商売」だと考えて買春を当然視する文化が根深く存在しており、マスコミでもそうした風潮があふれています。だから、性を売ることを内心では嫌だ、つらいと思っていても、そのことを言いづらい社会だということです。とりわけ、買春客や性売買業者、セックスワーク論者の前では、そうしたつらさを言うことは困難でしょう。性売買で生きている以上、買春客や性売買業者に気に入られなければなりませんし、セックスワーク論者からの批判を恐れるからです。そうしたなかで、性売買以外に生存の道があるとは思えない場合や、これまでの人生が性を売ること以上につらかった場合などには、性を売って生計を立てることに意義を見出そうとすることがあっても不思議ではありません。
また、「ソープでは働きたくない」「AV出演はぜったい嫌だ」「デリヘルの仕事はもうやめたい」と言う当事者たちに対して、性売買業者、AVプロダクションやスカウトたちは、「セックスワークも立派な仕事だ」、「それを嫌だというおまえはセックスワーカーを差別している」「仕事なんだから責任もってやらなきゃみんなに迷惑がかかる」などと言うことがあります。そのように言われて本心にフタをし、声を封じ込められて、性を売ることを「仕事」と思い込もうとする女性たちがいることも忘れてはなりません。
「自分たちは、性売買の店にいたときは、人権を侵害されているとか性搾取をされているとか考えなかった」
韓国の「性売買経験当事者ネットワーク・ムンチ」のメンバーは言います。
性売買以外に生きていける道があるとは思えなかったので、性売買業者と買春者を処罰する性売買防止法の制定時に、同法に反対するデモに参加したメンバーすらいたとのことです。しかし、どうしようもない苦しさのなかで支援にたどりつき、性売買業者や買春者の影響下から離れて、性売買以外の手段で生活していくことができるようになってはじめて、性売買の店にいた時、自分は人権を侵害されていた、性搾取を受けていたのだ、とはっきりと悟ることができたのだ、と言います(「ムンチのお話しを聴く会」2019/10/20)。
だとすれば、私たちは、セックスワーク論に反対し、性売買は「仕事」ではない、人権侵害なのだという声を強め、「なぜ性を売らなければならないのか?」「やめたい!」という怒りや悲しみを、当事者が自由に語ることができ、それを聴き取ることのできる社会を作っていかなければならないのではないでしょうか。そして、 性売買をしたくないのにせざるをえない人たちが、そこから離脱するのは正当な権利なのだと確信できる世論を作っていくべきではないでしょうか。
(2024.3.8)
<参考文献>
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要友紀子(2018)「誰が問いを立てるのか」SWASH編『セックスワーク・スタディーズ』日本評論社
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要友紀子(2020a)「セックスワーカー運動といくつもの壁」『社会学評論』71巻2号
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要友紀子(2020b)「性産業の禁止は、働く人にどんなリスクを生むか」
https://wezz-y.com/archives/80438/2/amp
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清水晶子(2021)「セックスワークをフェミニズムはどう捉えるか」【VOGUEと学ぶフェミニズム Vol.14, 2021-8-30】
https://www.vogue.co.jp/change/article/feminism-lesson-vol14?amp&__twitter_impression=true
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青山薫(2014)「グローバル化とセックスワーク」『社会学評論』65巻2号
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菊池夏野(2020)「夜の街連呼でやり玉に」 文春オンライン2020-8-3
https://bunshun.jp/articles/-/39390
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シンパク・ジニョン(2022)、金富子監訳、小野沢あかね・仁藤夢乃解説『性売買のブラックホール――韓国の現場から当事者女性とともに打ち破る』ころから
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仁藤夢乃(2022)「日本の性売買の現場から」シンパク2022所収
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「性売買当事者ネットワーク・灯火」の声明「金銭取引による『性交の合法化』に反対します」2022/5/19
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大邱女性人権センター・大邱広域市(2020)『「チャガルマダン」閉鎖及び自活支援事業白書 1909チャガルマダン_2019私たちの記憶』